受け継ぐとは、
更新すること。
寺町と呼ばれる、
17世紀から寺社が建ち並ぶ町の一角に
1813年に生まれた一力(いちりき)で、
女将や仲居、料理人といった人々との
コミュニケーションを取りながら、
長崎検番の芸妓が披露する踊りや音曲を楽しみます。
江戸時代まで、日本では一人に一つのお膳に料理が出され、家長が先に食べ、その後家族が食べ、最後に女中が食べる習慣でした。開国後、全員が食卓を囲んでいっしょに食事する海外の習慣と中国や西欧の料理を取り入れ、「卓」は食卓、「袱」は卓の上から周囲にたれた布を意味する卓袱(しっぽく)に出た大皿を皆で取り分けて食事をするスタイルとなったのが、卓袱料理です。
長崎最古の料亭、一力。お肉や油を使った料理を食べることが珍しかった日本で、開港以来、中国や西洋の人々が食べる料理を取り入れて長崎独自の卓袱料理が生まれました。一力では、伝統の卓袱料理に舌鼓を打ちながら、長崎検番の芸妓さんとの遊びを楽しみます。
造船業で賑わった時代には接待でよく使われていた長崎の料亭は減少。貴重な建物や庭園を維持するだけでなく、お祝いや仏事、四季などによって掛け替える掛け軸など、おもてなしの文化の継承につながります。
7代目の女将として海外からのお客さんを積極的に受け入れ。誰もが座りやすい椅子とテーブルを導入するだけでも反対されるほど伝統ある料亭の世界で、時代に合わせた料亭のあり方を日々模索しています。
女将のご子息で、調理を担当する三兄弟の次男。福岡の料亭で修行した後、実家の一力へ。ベジタリアンメニューの用意や、部屋での料理の説明といった、従来の料亭では行わなかった新たな料亭像へ挑戦しています。
一品目に出てくるお鰭(ひれ)と呼ばれるお吸いものは、乾杯で空っぽの胃にお酒を入れないように用意され、お祝い事や仏事などで乾杯の挨拶を待つ前に温かいままお召し上がりいただきます。家庭料理から発展した卓袱料理は最初から最後まで2枚の取り皿だけで食べるのが慣例。最後は消化を助ける薬膳料理としての役割を果たすおしるこがもてなされます。
海外のお客様への対応も柔軟です。ベジタリアン、ヴィーガンなどの情報を事前に聞くことで対応し、料理に取り入れることによって新たなメニュー開発のヒントに。卓袱料理という料理の歴史そのものが変化への順応だったのと同じように、海外のお客様のニーズに合わせて変化していくことで、伝統は受け継がれていくのです。
長崎に芸妓衆(げいこし)が現れるようになったのは江戸時代の中頃。検番は芸妓と料亭との仲介役として、依頼を受けた料亭のお座敷などに芸妓を派遣します。料亭のお座敷では、三味線と長唄に合わせて踊る艶やかな日本舞踊を眺め、お客さんと一緒に楽しみます。お酌されながら直接芸妓さんたちと話をすれば、日本に根付いた気配りの文化を体感できます。
ピーク時には100名以上だった芸妓衆も現在は10名程度。多くの方に芸妓の魅力を知ってもらうために、地元の方とのふれあいや、観光イベントなど、料亭以外の場所で芸を披露する機会を増やし、伝統芸能の継承に力を入れています。
日本経済が隆盛を迎え、長崎の賑わいが最高潮に達していた頃は毎晩のようにお座敷に呼ばれていました。多くの人々がいるお座敷ではその場にいるすべてのお客さんへの気配りを欠かせません。「一人前になれるのは芸妓を辞める時」と言うほど芸ごとは奥深いのです。
料亭一力
住所:長崎市諏訪町8-20
営業時間:昼の部 11:30-13:30 夜の部17:00-19:30
駐車場:なし